若手による政治改革の狼煙を
年末に始まった政治資金をめぐる事件は、派閥の解散によって政局は最終局面に入った。
欺瞞と軽薄なパフォーマンスによる安倍政治は終焉を迎えたと言えるだろう。若手の造反とか新しい動きに期待したが、今のところ見当たらない。思い出すのは、1976年の新自由クラブの結成だ。自民党のホープと言われた河野洋平氏を中心とする6人のグループは政治倫理をめぐり保守政治の刷新を掲げて、新自由クラブを掲げた。結党直後に行われた衆議院選挙では一挙に17人を当選させ、一気に勢力を伸ばした。全国から学生や若者、地方議員などが続々名乗り出、保守の二大政党がいよいよ登場する勢いがあった。河野洋平氏はじめメンバーは、兵庫県明石市を皮切りに全国遊説を開始。全国の組織化を目指したが、河野代表と西岡幹事長の対立が激化し、ついには分裂。1983年の総選挙で自民党が過半数割れすると自民党と連立政権を樹立。1983年第2次中曽根内閣で田川誠一が自治大臣として入閣、84年には山口敏夫氏が労働大臣に就任、次の改造内閣では、河野洋平氏が科学技術庁長官として入閣した。しかし1986年の総選挙で自民党が大勝、再び単独政党となり、新自由クラブは解散した。
岩下は、河野代表の秘書として最初の全国遊説から河野氏を支え続けたが全国遊説部長、党政策委員も退任し、帰郷した。
時を経て今感じることは、理想の灯をともす若手が再び現れ、政治改革の狼煙を上げることを心から待ちたい。