県立劇場の充実については本県の文化の殿堂としてかねて県民の期待を集めているがこの度県劇の自主文化事業としてチェコフィルハーモニー管弦楽団が招かれた、スメタナ作曲の「わが祖国モルドウ」などの演奏が行なわれ、クラシック愛好者がつめかけ迫力のある壮大な演奏に会場は感動で溢れた。
岩下は、村上文化協会会長らと鑑賞したが県劇の事業の充実を感銘深く思いを募らせた。
そもそれ昭和54年ごろ、県立女子大跡地の有効活用が話題にのぼった時、経済界から国際会議場建設の要望があったが当時総務常任委員だった岩下が県民は何を望んでいるかについて論議を起し、県民世論調査を行うこととなった。結果、コンサートホール、舞台ホールなど芸術性の高いものについて要望が多く、音楽ホールとなった。
当初、県民文化センターとして発足していたが、岩下は名称をもっと考えようと提案。当時県の教育委員長であった歌人の安永蕗子さんが県立劇場を提案された。
岩下は、熊本ユースオーケストラの保護者会長、後援会副会長を務めており、県劇への思い入れは深く、こけら落しに先立ちパイプオルガンの導入を本会議で主張。当時、沢田知事の賛同を得たが、約3億の経費がかかるという財政上の理由で知事3代にわたって実現しなかった。パイプオルガンの導入は、個人的趣味ではなく、導入によって県劇のグレードが著しく上り、教育的効果や経済効果まで予想され、九州では初ということで目玉となることは明らかであった。
岩下の議会での論調を傍聴された熊本の経済人がその場で導入経費の一助として2000万円の小切手を切られたが、依然、宙き、画龍点睛を欠いたまま今日にいたっている。
また、チェコのこのコンサートに先立ち、県劇のバリアフリーについて事務当局とともに視察、検討した。
障がいをおもちの方が気楽に音楽鑑賞ができるように配慮を重ねることが重要であり、手すりの増強などについて提言をした。
県劇は文化の殿堂であり、熊本文化の振興と定着のため一層の充実が求められる。