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【特別寄稿】「あの日、あの時」(岩下栄一)

身を挺して暴漢の襲撃から河野氏をかばう

安倍元首相の銃撃死去は、全国民に衝撃を与えたが、岩下はふと過ぎし日の出来事を想い出した。新しい保守を理想に新自由クラブ。岩下の仕えていた河野洋平氏。兵庫県明石市で全国遊説のスタートを切った昭和51年7月。全国遊説の途上、京都市役所前で演説中に突然ナイフをふりかざした暴漢から襲撃された。遊説部長として河野氏の側にいた岩下はすばやく犯人を取り押さえ、河野氏も岩下も無事だった。

身を挺して河野氏をかばった岩下の行動と勇気は称賛を得たが、奇しくもこの日岩下の長女倫子が熊本で誕生した昭和51年8月31日は、岩下一家にとっても河野洋平氏にとっても忘れ得ぬ日となった。岩下は、安倍氏との縁はいくつも重なる。国会議員1年目。党遊説部で安倍氏は局長、岩下は次長。同じく厚生委員会では隣りの席。中曽根内閣で秘書官仲間。安倍氏は外相秘書官。岩下は河野国務大臣秘書官。ともに政策を語りあったことも訴えたことも。衷心より死を悼む。

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